正月休みを使って、全三巻の罪と罰を読み終えた。
『主人公のように殺人を正当化する考えは、みんな誰だって頭をかすめたことがあるでしょう?』と問われている気分になった。(どんな考えかは実際に読んでみてください。それを活字にできるのは限られた人のみだと思うのです。←あ、これヒント。)
で、どのへんの話をしたいのかというと、”読み物として非常に娯楽性が高い”ということです。
文章がうまい、構成がうまい、表現がうまい。
人物の呼吸、街の色、空気の質感まで伝わってくる。
ページをめくる手に力が入る、なかなかパタンと閉じる事ができない、没頭中に誰かに声をかけられて絶叫したりする、古典文学ってやつは。
古典芸能しかり。
文化や芸術という言葉と比べ、娯楽という言葉は軽いけど、
娯楽的要素(楽しいと思わせる何か)のない文化や芸術って何だ?ということになる。
ふるいにかけられて残った娯楽達をむさぼる。
フラメンコにおいても、古典芸能の域に達したものを楽しみたい。
そして、今現在のフラメンコの中で残っていくものを見極めたい。