フェルナンダを聴きながら、皿を洗っていた。
タンクトップに短パンではあるが、西日の差し込む台所は暑く、じわじわ汗が噴き出てくる。

フェルナンダのアルバムが終わり、iTunesが次のアルバムを流し始めた。
ださい。ださすぎるフラメンコポップス。フェルナンダからの落差に渋くなる。
何かがカピカピにこびり付いたフライパンも洗う。
暑い。そして、フラメンコポップス、ださい。
いや、、、なんだ、、、
・・でも、どこか懐かしい。なんだ、この感じ。

御宿の民宿で、海水浴に疲れ、畳でゴロゴロしながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。
歌番組だった。いかにも昭和なセット、振付、そして歌謡曲。私は小学生だった。
民宿にはきっとクーラーなんてなかった。
夏なんだから、暑かった。それが、昭和の夏。
時代のせいというよりは、自分の年齢のせいなんだろう。昭和の頃に私が経験していた夏。

そんな昭和の夏を思い出した。ださいフラメンコポップスのおかげで。
そして、今ここに漂っている、昭和の夏が愛おしくなった。その暑さも含めて。
暑さは逃げるものではなく、迎え入れるものだな。
夏を演出して、暑いことがより自然であるようにしよっと。

ところで、
「ださいフラメンコポップス」と「夏の昭和の歌謡曲」のとっても近い感じって
みなさんと共有できるものなのでしょうか?私だけの感覚??