20100121001611
『生きて、語り伝える』
ガルシアマルケスの自伝。

彼の小説はいくつか読んだことがあり、
映像がありありと浮かんでくる小説家の一人と認識している。
その映像がこの世のものとは思えないような色や質感で迫ってくるんだ。
おとぎの国みたいな映像ではなく、やけにリアリティがあっておどろおどろしい感じ。

この自伝を読んで、彼が小説の中に出てくるような風景の中で育ってきたのだと知る。
コロンビアの中で点々と住みかを変えているのだが、
そのいずれもが、日本人の私が想像できる海外の風景の枠を大きく外れている。
彼は見てきた事や景色をモチーフに小説を書いている。コロンビア恐るべし。

話は変って、クラスでタラント(スペインの炭鉱の町で生まれた歌)を始めたので、
タラントの歌を歌えるようになろうと必死で努力している。(音程をとるのがなんて難しいんだ!)
たくさんのタラントを聴いていると、炭鉱夫の嘆きが感じられるようになってくる。
が、しかし、私の体内に、炭鉱の映像は存在しない。土門拳の写真集で見た映像くらいだ。
きっとこんな雰囲気の場所だろうという空想どまりだ。

だから、おどろおどろしさにリアリティのある小説は書けないし、
真に炭鉱の辛さを歌や踊りに託すこともできない。

その代わりに見てきた別の映像が、自分からのアウトプットに関係してくるのだろう。

例えば、
『視界に入った無数の人と何ら関わる事もなく、次の瞬間には散り散りになっていく』
そんなむなしい映像も。

あ、おどろおどろしいとか辛いとかネガティブワードばかり出してますけど、
楽しいとか心地いいとかポジティブな事でも同様に今まで見てきた映像に依存するのでしょうね。