20080728014247
お祭りを『足袋』をテーマに反芻してみたい。

足袋を履いて、扉をあけ、一歩表に出た。わが集合住宅の床や階段の質感をそのまんま足裏に感じた。家の前の道を歩き、神楽坂へと急いだ。地面のほんの少しの凹凸もすべて身体で感じながら。
踊りは神楽坂下から始まった。提灯と観衆で縁取りされたキラキラした坂を、色とりどりの大勢の踊り手とお囃子がひしめきながら少しずつ少しずつ登っていく様は圧巻だった。参加したからこそ、この光景に出会えたんだと感動しながら、やはり一歩一歩を足裏で感じていた。
普段、靴や自転車の車輪によって身体からほぼ寸断されてしまっている坂や街が、足裏という身体の一部分と繋がったことで、もっともっと近い存在に感じられた。

日本では玄関で靴を脱ぐ。
欧米人が『日本の家は全体が巨大なベッド』のようだと感じることもあるようだ。
居心地の良いベッドから出る際に靴を履き、表に出る日常。
この靴が、今回はぺらっぺらの足袋だった、というわけだ。
そして、ベッドの居心地の良さ(=自分の家の安心感、自分の居場所という感覚)を引きずりながら、街に出たんだ。そして、街は自分のすぐ近くまでやってきた。

靴というものは、内と外を明確に意識させる最強のアイテムだ。
普段、足袋を履いて出かける事はなかなかできないけれど、内と外のいたってゆるーいこの足袋感覚は常に持ち合わせたいと思った。